in Print 2002 チェコのアヴァンギャルド:写真とブックデザイン


2002年1月26日 - 3月9日 タグチファインアート


タグチファインアートでは、アーティストが印刷物というメディアを使用して制作した作品を紹介するシリーズを「in Print」と題し、定期的に展覧会をおこなってまいります。今回はその第1回としてチェコのアヴァンギャルド芸術を取りあげます。









































チェコの前衛美術

 私たち日本人、特に戦後世代の感覚からすると、チェコは最近まで東欧社会主義諸国の一員であり、したがって近現代の芸術分野に関しては特筆すべき作品・運動に乏しい国である、というイメージを抱きがちです。しかしながら、第二次世界大戦の終結の結果ヨーロッパが東西に分断される以前、首都プラハは常に様々な文化人が訪れるヨーロッパの中心都市のひとつであり、各国文化の交差点としての位置にありました。それを思い起こすなら、ヨーロッパで前衛芸術が盛んであった1920年代から1930年代においては、そうしたイメージが誤りであることは容易に理解できます。
 今回の展示では、1918年のチェコスロヴァキア共和国の独立から1939年のヒトラーのプラハ占領前後まで、プラハを中心として活動したチェコ・アヴァンギャルド芸術運動を、これまであまり紹介されることのなかった写真の分野と、ブックデザインの分野から紹介します。


チェコのモダニズム写真

 チェコの前衛写真家たちの作品が、当時ドイツやフランスで活躍していた写真家たちに決して引けをとらない高い水準に到達していたにも関わらず、これまであまり顧みられることがなかったのには、主に次の二つの理由があります。
 ひとつは、戦後の東西二つの世界への分裂、冷戦構造による西側へもたらされる情報量の不足であり、しかもその少ない情報がチェコ語という、研究者にとって敬遠されがちな言語によっているという、言葉の壁の問題です。
 もうひとつは、ヨーロッパの新興写真を語るときに必ず参照される展覧会、1929年にシュトゥットガルトで開催された「映画と写真 (Film und Foto)」展、また同年にフランツ・ロー (Franz Roh) が編集した当時の新しい写真芸術を紹介する書籍「写真眼 (Foto Auge)」、そのどちらにも、チェコの前衛写真家の作品が取りあげられなかったことです。これは「映画と写真」展への出品者の人選を任された、チェコのアヴァンギャルド芸術の中心的な作家であり理論家であるカレル・タイゲ (Karel Teige 1900-1951) が、写真の重要性を認識していたにも関わらず、当時のチェコの写真家たちと実際の接点をもっていなかったことにのみ起因しています。
 1989年のビロード革命によって民主化が始まって以来、資料や情報の不足が徐々に解消されると同時に研究者も増え、当時のチェコの状況が明らかになるにつれて、チェコの前衛写真家たちの仕事は近年急速に評価されることになりました。
 今回は特に、ヤロミール・フンケ (Jaromir Funke 1896-1945)を取りあげ、モダンプリント10点を展示致します。


チェコの前衛ブックデザイン

 1920年代のチェコにおける前衛芸術家たちの核となった集団「Devetsil」は、画家、文筆家、建築家、写真家、俳優、音楽家、ジャーナリスト等、あらゆるジャンルのアーティストから成る、100人近いメンバーを擁する集団でした。ヨーロッパの中心に位置するという地理的な条件から、必然的に彼らは、当時のヨーロッパの前衛芸術の拠点であったドイツのバウハウスやロシアの芸術左翼戦線(LEFグループ)、フランスのエスプリ・ヌーヴォー・グループ等と密接な関係を持つことになり、それらすべてから少なからぬ影響を受けました。
 「Devetsil」の中心人物はカレル・タイゲであり、彼は東西を繋ぐ中欧という独自の位置にあるチェコの社会・文化に根ざした新たな固有の芸術運動を目指しました。それがポエティスム (Poetism) であり、オザンファン (Amedee Ozenfant) とジャンヌレ (Pierre Jeanneret) 等、エスプリ・ヌーヴォー・グループに特徴的に現れていた「近代詩の伝統」と、リシツキー (El Lissitzky) やマーレビッチ (Kazimir Malevich) 等、ロシア前衛芸術の「革命的ヴィジョン」とを結合しようとするものでした。
 この実験が最も顕著なかたちで試みられたのがタイポグラフィー、特にブックデザインの分野です。タイゲ等は革新的なタイポグラフィーとフォトモンタージュを使用することにより、書籍の表紙に自立した機能を与えました。そこでは単に著者や題名、出版社等の実際的な事項が表示されるだけでなく、書籍の内容が視覚的な手段によって表現されたのです。表紙がピクチャーポエム (picture poem) としてヴィジュアル作品化され、独立した価値を獲得している例も少なくありません。「私は表紙を書籍のポスターとして考える」というタイゲの言葉は、こうした性格を端的に表現しています。
 バウハウスのモホリ=ナギが提唱したタイポフォトにおいて、イメージ(写真)はあくまでテクスト(タイポグラフィー)の補助としての役割を担っていたのに対し、ポエティスムにおいてはそれが逆転し、イメージが主役でテクストはそれを補足するものとなっています。こうした実験は表紙だけでなく、奥付やタイトルページ等においても同様に試みられました。
 1931年に「Devetsil」グループが発展的解消を遂げた後、画家と作家の多くはシュルレアリスムへ、建築家は国際様式・機能主義へとその思想や表現様式を変化させていきます。ブックデザインにおいてはこの両者への道が採られ、フォトモンタージュやコラージュを多様したシュルレアリスム的なデザインと、簡潔で明快なタイポグラフィーによる機能主義的なデザインとが並行して展開されます。
 チェコの前衛芸術に特徴的なことは、絵画、彫刻、映画、写真、舞台美術、タイポグラフィーなどのあらゆる芸術様式において、短期間の間にこれほど急激な変化をみせた国はないということです。それは例えば、1) フランスのル・コルビジェとオザンファンによるピュリスム 、2) リシツキーに代表されるロシア構成主義、3) チェコ独自のポエティスム、4) モホリ=ナギが提唱したタイポフォトとバウハウスのファンクショナリスム、5) ブルトンの直接的な指導によるシュルレアリスム、等です。そしてその多様性・変化が最も如実に現れているのがブックデザインの分野であるといえます。同一の作家の作品でさえ、時代が少し違うだけでまったく異なった様式をみせるのです。
 チェコの前衛芸術家たちは1939年のヒトラーのプラハ占領まで、場合によっては占領後にもひっそりと、制作を続けましたが、歴史の表舞台からは消えていくことになります。
 今回展示される100冊近い書籍は、チェコの前衛美術家たちが生み出した最も美しい作品であり、60年以上経過した現在、可能な限り状態の優れたものです。主な出品作家は以下の通りです。


ヨセフ・シーマ (Josef Sima 1891-1971)

ラディスラフ・ストナー (Ladislav Sutnar 1897-1976)

オタカー・ムルクヴィチカ (Otakar Mrkvicka 1898-1957)

インドルジヒ・シュティルスキー
(Jindrich Styrsky 1899-1942)

カレル・タイゲ (Karel Teige 1900-1951)

トワイアン (Toyen 1902-1980)

ズデネック・ロスマン (Zdenek Rossmann 1905-1984)