野村和弘「ライオン」2005年11月19日 - 12月24日 タグチファインアート |
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野村和弘は1958年高知県生まれで現在神奈川県在住。1988年に東京芸術大学博士課程を満期修了後、ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生として渡独。1990年にデュッセルドルフ美術アカデミーを修了した後、1993年に帰国。東京芸術大学在学中から「言葉と意味」、「芸術・制度・社会」、「全体と部分」、「完全と不完全(原型と写し)」等の問題をテーマに、ドローイング、絵画、パフォーマンスやインスタレーション等、形式にとらわれない作品を制作してきました。帰国後は小さな画面に5色の極小の点で同一の図柄を描いた禁欲的なタブローのシリーズに集中してきましたが、2003年頃からは、レディメイドによるオブジェ作品を発表する機会も多くなってきました。 621個の極小の点で構成される「生命の樹」今回で4回目となる展示の中心となるのは、1989年のドイツ留学中に開始され以後現在に至るまで野村が継続的に取り組んでいる、総数621個の赤、黒、黄、オレンジ、緑の点によって「生命の樹」を描いた作品です。この作品に描かれている樹のかたちは、作家がドイツ滞在中に見て特に印象に残った、トルコ系移民の住宅の窓辺に置かれていたキッチュなオブジェがもとになっています。一本の樹に6個の果実がなっているというもので、トマト、レモン、オレンジの3種類があったようです。このオブジェを手に入れた作家は、ある時それらの実を付け替え、一本の同じ樹にトマト、レモン、オレンジの実が2個ずつなった、現実には存在しえない不思議なオブジェを作りあげました。(既製品を用いて、それらを通常の文脈からズラすという作品は、作家が東京芸術大学在学中から試みている仕事のひとつです)。 野村は5色の点(並外れた集中力により、認識できる限界ギリギリの大きさでひとつひとつ筆で描いている)によって、この不思議なオブジェを描き出しています。 500点を制作目標この連作では、図柄と各色彩の点の総数(キャンバスの下部に、各色彩の点の総数が、それぞれその色彩を用いて点によって描かれています)は、個々の作品でまったく同一で、変化することがありません。同一の図柄ながら、色彩の配置だけが、作家が自ら定めた規則に従って、変化しています。この色彩の組み合わせは本来、無限に近い数がありますが、野村は500点という数を目標として制作を続け、現在は400番台の初めまで進行しています。制作順の通し番号を付されただけの題名の無いこの作品群のなかには、壁に直接描くもの、トレーシングペーパーに描くもの、キャンバスに描くもの、という支持体の異なった3種類の作品があります。 ライオンこれまでは、本作品群のなかで主として白地の作品が発表されてきました。今回は、2001年のタグチファインアートにおける展示「エヴァは何回リンゴを食べる?」で初めて登場した「赤」地の作品が中心に展示されます。「ひとつの色を画布の上に置くということは、もう一つの色、つまりその補色をもその隣りに置くことである」とは、ある印象派の画家の言葉ですが、赤い地の上では、赤の点が消失して見えなくなるという変化が生じるだけでなく、他の4色の色彩も、白地の上に置かれたのとは、まったく異なった複雑な立ち現れ方を見せます。 今回赤地の作品の展示にあたり、選ばれたタイトルは「ライオン」です。これは赤地の作品のありかたが、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で示した精神の3つの様態、「駱駝、ライオン、幼な児」のうちの「ライオン」に最も近いと野村が考えているからです。 「全体」によって成立する「部分」、
赤地の作品の発表によって、このシリーズ作品「全体」のなかに、壁面、紙、キャンバスという「支持体の相違」に加えて「地色の相違」という分類基準があることが示されました。白地の作品群だけでなく赤地の作品群が存在することによって、他の色彩、例えば黄色や緑色の地をもつ作品群が存在する可能性も示されたことになるからです。さらには、「支持体」や「地色」以外にも様々な分類基準があり、多様な「部分」が存在する可能性が発生してきます。 |