西村盛雄 「億劫」


2005年6月4日-7月16日 タグチファインアート
































西村盛雄は1960年東京都生まれ、1985年多摩美術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。国内で何度か作品を発表した後、1991年にドイツ政府給費留学生(DAAD)として渡独。1995年にデュッセルドルフ美術アカデミーで G. ユッカーによりマイスター・シューラーを取得しました。1998年から1年間、文化庁派遣芸術家在外研修員としてヨハネス・グーテンベルグ・マインツ大学造形芸術学部文化精神学科に在籍し、宗教と現代美術について研究。その後2年半同学科に講師として留まりました。2001年には "2001/2002年度クンスト・スタチオン・聖ペーター教会の芸術家" というタイトルを受け、現在もドイツを拠点に制作活動を続けています。



甘露の雨

 西村は、世界中で繰り広げられている信仰や宗教という人間の営みをヒントに作品を制作し、それを通して人間と自然・世界との関係を探ろうとしています。
 2002年のタグチファインアートにおける展示「甘露の雨」では、等高線で切り出したベニヤ板を積層し角を落として滑らかな曲線を得る、という独自の方法によって制作した、蓮の葉をモチーフとする彫刻作品を発表しました。解脱や輪廻の象徴としての「蓮」、釈迦の誕生を祝うために龍王が天から降らせたという「甘露の雨」など、地球上に存在する様々な宗教のなかでも、特に仏教に関連する観念や事物をモチーフとするこの仕事は彼の制作活動において重要なものです。西欧文化のなかで暮らし、つねにみずからのアイデンティティーと向き合わざるをえない異邦人である西村にとって、身に浸み着いた宗教である仏教を強く意識せざるを得ないのは、当然のことであるといえます。



黄砂

 「黄砂」と題された2004年の展示では、西村は古代メソポタミアから伝わるガラスの形成技法であるパート・ド・ヴェール を用いたガラスの彫刻を発表しました。それらは仏教において重要な意味を持つ舎利容器・骨壺をモチーフとした、実際に容器として使用可能な多面体の彫刻作品でした。
 うつわや壷には、内と外・あの世とこの世の繋がりといったイメージがある、と西村は言います。蓋を閉めるまでは、白日のもと明快でクリアーな空間である容器の内部は、その蓋を閉められた途端、外界から隔絶されたまったく別の未知の世界を生み出します。容器は2つの異なった世界、それらを隔て且つ繋ぐものの象徴であると考えられるのです。骨壺こそ、まさにこの世を去った私たちが、物理的な意味において、住まうことになるあの世でもあるのです。砂漠から飛散する黄色い砂、黄砂ー西村はそれをタイトルとし、仏教や文化の伝搬を象徴させました。



億劫

 今回の展示にあたりタグチファインアートでは、西村が何度か発表してきた、蓮の葉を和紙に漉き込んだ平面作品5点を筺に収め、ポートフォリオとして出版いたします。タイトルは「億劫(おくこう)」、仏典や聖書から作家自身が選んだ言葉を添えた詩画集という体裁になっています。
 テクスト部分は嘉瑞工房による活版印刷、筺はトップアート鎌倉の制作です。発行部数は限定5セット+AP2セット。エディションはありますが、作品はオリジナルで、1点1点それぞれすべて異なったものになっています。
 タイトルの億劫は、「億劫相別レテ、須臾(しゅゆ)モ離レズ。尽日(じんじつ)相対シテ、刹那モ対セズ。」という大徳寺開山、宗峰妙超(大燈国師)の言葉からとられています。億劫は宇宙的な程に限りない永遠の時間を表わし、須臾と刹那は逆にほんの一瞬の時間を表わします。宗峰妙超の言葉の意味は、「自分と神仏とは永遠に区別されるものではあるが、同時に、いつでもどこでも、神仏は自分とともにある」ということで、このことを自覚することが「悟り」であると考えられます。
 5つの言葉(文章)と組み合わされた西村の作品から、さまざまなことを思いめぐらせて頂ければ幸いです。



 昨年の神奈川県民ホールギャラリーでの「ものづくりの逆襲展」や、今年6月11日から9月4日まで神奈川県立近代美術館鎌倉館で開催される「今日の作家展」に取りあげられるなど、西村盛雄の活動は日本でも注目されてきました。

 今回のタグチファインアートにおける展示は、昨年の「黄砂」に続き西村が渡独後日本で作品を発表する3度目の機会となります。ポートフォリオ「億劫」の他、蓮の葉をモチーフにした木彫作品「甘露の雨」を展示します。



出品作品

1.
億劫, 2005
蓮の葉・紙・寒冷紗
5点組のポートフォリオ
各23.0 x 23.0 cm
限定5部 + 2 A.P.

2.
甘露の雨-マナ11, 2004

26 x 135 x 135 cm