サイモン・モーレイ 「日本映画の古典」


2007年3月17日-4月21日 タグチファインアート





カタログ





 溝口健二「雨月物語」









































サイモン・モーレイは1958年イギリス、イーストボーン生まれ。1980年にオックスフォード大学マンスフィールドカレッジで近代史を学び、1998年にロンドン大学ゴールドスミスカレッジで芸術学修士を取得。現在はフランスのアリエとイギリスのケントを拠点に活動しています。作品制作のかたわら、グラスメアのワーズワース・トラスト(イギリス)やローマのブリティッシュスクール、プーゲ・レ・オー現代美術センター(フランス)など各地のアーティスト・イン・レジデンスにも積極的に参加、キュレーターとして多くの展覧会を企画してきました。また様々な美術雑誌に論文を執筆、さらに美術史の研究書「Writing on the Wall - Word and Image in Modern Art, Thames and Hudson, 2003」を著わすなど、その活動は多岐に及んでいます。



言葉とイメージ

 或る単語や文章を象徴的な字体(字体にはそれぞれ歴史的意味があります)で、キャンバスの上に散りばめて描く「ウイルス」、歴史上の人物の署名を拡大して壁に直接描く「署名ペインティング」、展覧会で使用される作品キャプション(ラベル)を描いた「ラベル・ペインティング」、書籍の表紙あるいはタイトル・ページをキャンバスに描く「ブック・ペインティング」、実際に使用された絵葉書をキャンバスに描く「ポストカード・ペインティング」、墓石の写真と単語とを組み合わせた作品、詩の一節を人々に発音させ、彼らの口元をクローズアップしてスローモーションで再現したヴィデオ作品、ユートピア・プレスという名で自ら出版する書籍など、モーレイの仕事は常に言葉とイメージとの関係を主題にしています。



DVDペインティング

 今回の作品の一つのグループでは、日本映画の欧米向けビデオとDVDのパッケージ、そのスタイルが絵画言語へ翻訳されています。通常用いられてきた地と図のコントラストは、表面・テキスト・イメージによる微妙なバリエーションに置き換えられているのです。このバリエーションは、色のとりあわせや調子、表面の質感のちょっとした変化で生まれます。その結果、観客/読者は、より緻密で「平静な」知覚・認識の状態へとひきこまれます。
 とりあげられた映画は、黒澤明による「羅生門」「生きる」「蜘蛛巣城」「七人の侍」、溝口健二による「武蔵野夫人」「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒大夫」、小津安二郎による「晩春」「麦秋」「東京物語」「浮草」、成瀬巳喜男による「浮雲」、内田吐夢による「飢餓海峡」、そして勅使河原宏による「砂の女」の15作品。これらのDVDパッケージが描かれました。
 モーレイの作品は全般的に、メディアとメディアの間で混乱が生じたときや、新しい結合ができたときにどんなことが起こるかを探りつつ、絵画言語を新しく作り替えることへの関心に基づいています。以前の個展では、彼はテキストを文字単位に分解して描いたり、本の表紙そっくりに描く作品を制作しました。今回ビデオとDVDのパッケージを扱うことで、彼の作品は、文字だけでなく、それらに刷られた写真をも取りこみ、イメージにも間口を広げました。モーレイは言葉とイメージがどのように相互に作用するのか、また異なった記号システムを使用し理解する方法をどのように変えるのか、といったことに興味をもっています。私たちが見るこれらのパッケージのイメージは、映画から抜粋されたスチールです。でも、どのスチールを使うかをどうやって決めるのでしょうか。それらのスチールは、どうやって文字と関わりあうようになっているのでしょうか。また、どうすれば一点のスチール写真で映画まるごと一本を総括することができるのでしょうか。



紀子3部作

 もう一つのグループは「紀子」を扱った三つの新しい絵画作品で、女優原節子が紀子役を演じた、『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)という小津の偉大な三部作のスチールに基づいています。そのなかでモーレイはより視覚的な領域へと移行しています。スチールは映画の何千何万というフレームの中から選び抜かれたもので、これらの作品で、影と光または平塗りと盛り上げ塗りというように、単純で省略された言語へと還元されています。
 ほとんど真っ白に近くて見えづらく、見る人は、見たままのイメージをまっとうな記号として理解するために、より能動的に努力せざるを得なくなります。ここで白は、小津映画の核心にある否定性、空虚、無を意味していますが、こうした性質は、欧米では根本的な欠落を意味するものと考えられています。対照的に、伝統的東洋思想では、これらの性質は、まだ使われていない、まだ使うことのできない潜在能力であって、そこからいろいろなものが生まれ出てくる可能性があるのです。このように考えれば、絵画の厚い表面は、物質性−つまり実在し、触れることのできる絵画作品のものとしての要素−を示唆しますが、これを通じて無などが認識され得ます。
 今回のタグチファインアートでの展示は、2005年の「ウイルス」に続き、3度めの個展となります。



出品作品


1.
小津安二郎「晩春」1949
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

2.
黒澤明「羅生門」1950
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

3.
溝口健二「武蔵野夫人」1951
2007年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

4.
小津安二郎「麦秋」1951
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

5.
黒澤明「生きる」1952
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

6.
溝口健二「西鶴一代女」1952
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

7.
溝口健二「雨月物語」1953
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

8.
小津安二郎「東京物語」1953
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

9.
黒澤明「七人の侍」1954
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

10.
溝口健二「山椒大夫」1954
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

11.
成瀬巳喜男「浮雲」1955
2007年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

12.
黒澤明「蜘蛛巣城」1957
2006/7年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

13.
小津安二郎「浮草」1959
2006/7年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

14.
勅使河原宏「砂の女」1964
2006年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

15.
内田吐夢「飢餓海峡」1964
2006/7年 アクリル・キャンバス
41 x 31 cm

16.
紀子 - 晩春
2006年 アクリル・キャンバス
73 x 92 cm

17.
紀子 - 麦秋
2007年 アクリル・キャンバス
73 x 92 cm

18.
紀子 - 東京物語
2006年 アクリル・キャンバス
73 x 92 cm