中川佳宣「内包」


2008年3月15日 - 4月19日 タグチファインアート




































中川佳宣は1964年大阪府生まれで現在滋賀県在住。大阪芸術大学を卒業した1987年の個展以来、一貫して植物や植物と人間との関わり、すなわち農耕や栽培といった人間の根源的な営みや植物の構造をモチーフに作品を制作しています。様々な素材を自在に操る職人的な手技や、作品の素朴な佇まいから漂う豊かな詩情により、これまでつねに多くの人々を惹きつけてきました。タグチファインアートでは、2006年の「薹(とう)」と題した展示に続く2年振り4度目の展示となります。



 日々の生活の中で誰しも衣服をほとんど意識せずに着脱している。しかしセーターの前後が逆だったり、裏表が逆さまだったりすると「これは本当に裏や表が在るのか」と不思議になる。また、腹痛や頭痛がしたときに自分の身体の中に考えの及ばない別の機能が備わっていることを認識する。
 我々は物を見るときに物の表面だけを見ているに過ぎず、物の表面の認識によってのみその物が何であるか判断を下しているという考え方が、どうも一般的であるようだ。
 80年代のイギリスにおける彫刻家の多くが「彫刻とは表面にしか過ぎない」と語ったことは、その当時とても新鮮であったが、どこかしら違和感の残るメッセージであったことを記憶している。
 「彫刻とは表面にしか過ぎない」という物の見方と映像とは、おそらく深い関係にある。物の表面を映像的な視覚で認識する方法は確かに今日的であり、他者とのコミュニケーションをとるという目的においては有効である。しかしこの映像的な物の捉え方には一つの欠点があるように思う。それは、映像的な物の見方には実体験という人が生きる上で必要な経験というものがそれほど必要ないということである。映像的な物の認識における最大の弱点は、見ることと思考がかならずしも連動しないことであり、見る側は限りなく受け身であるという点である。
 今回のテーマは「内包」である。三木成夫(解剖学者、発生学者)は「人の体は動物的な器官と植物的な器官とで構成され、植物的な器官である腸管を裏返すと、それは植物の根の構造であることからも、人は体の奥深く動植物の構造を内包している」と説明している。つまり、人や獣、家畜に至るあらゆる動物はその内側に植物的な要素を包み隠していることになる。
 このことは、私が立体物を作ったり、ドローイングを描くことにおいて、とても重要なことであり、同時に日々の暮らしの中で「物がどう在るのか」という問いかけに対するとても興味深い回答でもある。今回の個展においてその一部をお見せしたいと考える。

中川佳宣



視線によって捉えられる「表面」と目では見ることができない「内部」との関係は、中川の仕事において一貫して扱われてきた彫刻の本質的な問題であり、存在の問いへと繋がるものです。手がかりとして、今回は布や再生紙・皮を使って作られた膨らみをもつレリーフ状の作品が展示されます。





出品作品


1. 卓上の畝#2, 2008
綿・再生紙・アクリル・木・皮・油彩・キャンバス・
蜜鑞・糸
41 x 17.5 x 32 cm

2. 器上の畝#2, 2008
綿・再生紙・アクリル・木・皮・油彩・キャンバス・
蜜鑞・糸
36.5 x 18.5 x 28.7 cm

3. 果実、根または頭部#1, 2008
皮・竹・水性塗料・アクリル・蜜鑞・糸
92 x 20 x 20 cm

4. 無題(分裂)#7, 2000
木・綿・アクリル・皮・再生紙・油彩・蜜鑞・金属粉・糸
25 x 18 x 12 cm

5. 無題(分裂)#13, 2000
木・綿・アクリル・皮・再生紙・油彩・蜜鑞・金属粉・糸
25 x 18 x 12 cm

6. 中央で出会うふたつの畝(アラベスク), 2008
綿・再生紙・アクリル・木・皮・油彩・キャンバス・蜜鑞・糸
104 x 18.5 x 20 cm

7. 風をはらむ種子, 2008
皮・木・水性塗料・アクリル・蜜鑞・綿・糸
85 x 14.5 x 34.5 cm